この人生で会える人

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今日、久しぶりに

新卒で入社して10年間過ごした会社の仲間に会ってきた。

 

みな変わらない。

当たり前なんだけど、みな歳は確実に取っている。

 

でも

 

会うと一瞬でその頃の仲間に戻る。

先輩も、後から入ってきた人たちもない。

 

20年以上も前の仲間に会うなんて

この仲間は、なんという縁なのかと思う。

 

人生は有限で

 

会える人は本当に数が限られている。

この人生で会える人は

縁のある人。

 

しかもこれほどまでに時間が経っても

会える仲間は本当に限られていると思う。

 

ご縁を大切に。

限りある人生、命の中で本当に大切な人たちとのご縁。

 

そんなことを

今更ながらしみじみと思いました。

 

最近、ずっと人に会っていなかったけど

 

今、会える人に

少しでも自分が何か役に立てるなら

出来る限り会おうと思っています。

 

偉そうに

書きましたが そう思ったので

久しぶりにブログも書きました。

 

 

 

 

何を受け取るか

 

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2015.09.26

コトノハ。+6


久しぶりにブログが書きたくなったので書いています。
今年の1月3日から書いていないし、
その前は去年の8月だった。

それまでは毎日Facebookに今日の1枚をアップしていて、
その時は書きたいことがたくさんあったのかなあとも思う。

でもただ単に暇だったのかも(笑)

 

 


世の中にはものすごくいろいろなことが
溢れていて、

もう本当に上から下まで
右から左まで

いろんなことがある。

 

その中で
僕らが見ているものって

何だろう?

自然に目や耳に入ってくるものを見ているようで
聞いているようで

本当は自分が選択したものを
見たり聞いたりしているのではないかと思います。

 

例えば

今気になっていること、

心配なこと、

期待していること、

そんなことが
心にあると、

そのことが気になってしまって
こころがそちらに向いている状態になっている。

 

そうすると

昨日まで何もなかったなら、そんなことを
気にも留めなかったことが

ものすごく
大きく、重大なことに思える。

知らなければ、

そんなことがなければ、

昨日と同じように
笑って過ごしていたのに


世界は何も変わっていないのに

自分の世界がまるで変わってしまう。


それは

自分が 何を受け取るか

ただそれだけのことだったのだと
思います。


変わったのは
世界ではなく、

自分の受け取るもの。


自分が何を受け取るのかを

決めたら

それを自分が受け取るのだと
思います。


心配事を引き受けることを決めるのは自分

世界は何も変わっていない


そのことに
気づくと

自分の世界は
自分で作れるのだと

思います。

 

Let's contorol our destiny.

2014年の得難い経験

 

 

f:id:junbar01:20150104162947j:plain【 入院中の病院から見た日没 】

 

日時:2014年9月16日午前6時50分頃
場所:名古屋市北区 自宅から約50メートルの付近

あの時、僕はとても急いでいた。出発時間を間違えていたから。

「このままじゃ間に合わないかも」

愛車のグリーンのクロスバイクを立ちこぎして、かなりのスピードでその道を渡ろうとしていたその時、一瞬左右から車が来ているのが視界に入った。とっさに右の歩道に進路を変えた。歩道に入ったところで、

 

 シャットダウン 記憶がなくなった。

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今、自分にできること。

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2014.08.16

コトノハ。+5


子どもたちの夏休みの声を聴き、

8月のセミの声を聴くようになると、

いつもある思いが
自分の中から湧き上がってくる。


それは

どうして

彼らは死ななくてはならなかったのか

と言うことです。


自分は平和にのうのうと生き、

なぜ彼らは
そんな目に合わなくてはならなかったのだろうか

と考える。


時代が
違っていたのだと

言えばそれまでだけど

今、自分がそうだとしたら、

どんな思いで
どんなことを考えて

死んでいくのだろうと

思います。


自分たちは

何のためにこの平和な時代に日本に生きているのか。


何のために

この
命の火を燃やしていくのか。


言い訳をせず、

ただ黙って自分の道を歩く。

ただ、自分の道を歩く。


自分の信じた道を。

彼らに負けないように。


彼らの無念の分まで

歩き続けて、命の火をともして。


それだけが
自分に出来ること。

今、自分に出来ること。

 

 

諸行無常の響きあり。

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2014.08.02

コトノハ。+4

 

半年間のプロジェクト終了しました。


2月より7月までの6か月間の
プロジェクトが終わり、

8月4日からまた
新しい毎日が始まります。


ひとつこれで
一段落。


今回のプロジェクトは
ひょんなきっかけで始まりましたが、
機会というのはいつもそんなもの。

 

自分の将来がこれで
大きく変化していくかもしれない...

と一瞬、思ったけど

そうはなっていかず、

人生、そうやすやすと
自分の思い通りにはならないこと、

神様が

「潤、
 この道は違うぞよ~」

と言って、
通らなくされたから


やはり
この道ではないのだろうな

と思った。


※ 注

(ここでの

 プロジェクトと言うのは

 自分が勝手に思っている名称であり、

 記号です)


なにはともあれ、
お疲れ様でした。


最終日に

思いがけず、
このプロジェクトで関わった

ある好青年から、

「潤さん、今日最後なので
 お疲れさん会をやりましょう~」

と誘ってもらえたことが
とてもうれしかった。


そしてまたまた
不思議なことに!

(僕はこの手の偶然がとても多いのだ)

 

自転車で
そのお疲れさん会に行く途中、

僕の友人で

今度、ある会社のビッグプロジェクトに
任命されたT君にばったり出会う。

 

(大小はかなりあるけど(笑)

 プロジェクトつながりやん!)


僕が

その時間、

その道で

その横断歩道を渡らなければ。

 

彼が

その時間、

偶然にも会社を出なければ。

その信号で待っていなければ。


会えなかった
偶然。


つながるもの。
終わるもの。


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり

だね。

シンプルに シンプルに。

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2014.7.28

コトノハ。+3

 

引っ越し一段落しました。

 

7月12日からぼちぼちと運び、19日で一気に移動、
20日、21日と何とか片付け、ようやく家の中も段ボールが
目につかなくなってきました。

 

長男と二人で冷蔵庫入れるのに苦労した~ (ーー;)

 

今回の引っ越しで6回目。

要領はわかっているものの、やはり引っ越しは大変。

今回は特に業者を頼まない自力引っ越し。

(移動距離は50メートルくらいだけど)

 

ただ、

今回は子どもたちが
17歳、20歳と大人になっているので
ものすごく助かった。

 

前回この団地に引っ越してきたときは
小学5年生と中学2年生。

どちらもまだまだ戦力にはならず、
自分の部屋の片づけくらいだった。

 

前々回は
3歳と6歳。
もう話にならん(笑)レベル。

 

子どもたちって
親がどうであれ
ちゃんと立派に成長するのだなあ(笑)と実感。

特に
長男は自分が20歳のころと比べて
とてもしっかりしている。

妹の学費は自分も援助してやるからと
泣けそうなことを言ってくれる。

(本当にしてくれるかどうかは別として(^^)


なにはともあれ、
一段落しました。

 

あとは自分の部屋の段ボール3箱、

どうするかなあ...

 

これからまだまだ

いろんなものを
手放す必要があるなと

思います。

 

最期は一人。

まだまだ先だと思うけど、そこに向けて
一歩一歩進んでいるのが人間。

もっともっと

シンプルに

シンプルに。 

 

 

手軽に満足しないこと。

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2014.7.17

コトノハ。+2

 

手軽に満足することは、現在の現状維持を認め、

より高みを目指すハングリーさをなくすと思います。

 

なので、
出来るだけ(できるだけですよ(笑) )
手軽に満足しないように心がけています。

手軽に満足すると言うことは

「まあ、こんなんでいいか~」

と言う、

「これで俺も幸せだし」的な

一種のあきらめと、自己正当性を醸し出す
危険性を持っていると思うからです。

 

ここで問題なのは、
「日常の生活で幸せを見つける」ということと、
一見似ていると言うことです。

でもそれは明らかに違う。

 

なんとなく、今月は頑張ったから、
自分にご褒美。

とか、

週に一回くらい家族で外食してもいいよね。

とか、

要は

「プチ贅沢で、満足してはならん」と言うことです。

 

なんとなく、まあいいかで済ませず、
出来るだけそういうものを排除し、

本当にご褒美の時、本当に特別な時だけに
ちょっと贅沢をする。

そもそもそういうのは贅沢ではなく、
一所懸命やって、十分にその報酬がふさわしいとすれば、
正当なものだと思います。

 

よくないのは、
ちょっと頑張ったから、とか、

ちょっと大変だったから、とか、

その「ちょっと」レベルに報酬を与えること。

 

ストイックに思えるかもしれないけど、
それくらいのシビアさを持っていても
ついつい人は自分に甘いもの。

 

今日も自分を戒めて、
ストイックに行くことが、さらなる高みに登っていく
階段なのだと思う。

 

自戒を込めまして。